シンガポールの雨(3)









 シンガポールの有名な名所にマーライオンとラッフルズホテルがある。マーライオンは、シンガポールの中心部を流れる川の河口付近にある石像で、頭がライオン、体が魚という代物である。この変な動物の由来はよく知らないが、シンガポール観光に行く日本人は必ずといっていいほど訪れる場所ではないだろうか。このマーライオンは、マーライオン公園という公園が川に突き出た先端にあるのだが、実際に行ってみると、思いの外小さな公園で、公園というより河口の小さな空き地に申し訳程度に植樹をして噴水や石像を持ってきたという感じだった。しかし、この辺りにいたわずか1時間余りの間にも2〜3組の日本人観光客の団体がバスで来ていたから、やはり名所ということにはなっているのだろう。



  
      また、マーライオンからほど遠くない川の岸辺には、ボート・キーと呼ばれる地区があり、ちょっとお洒落な感じのレストランやバーなどが立ち並んでいる。ここは、すぐ近くが超高層ビルが立ち並ぶ金融センターで、昼時などは、おそらくこれら金融機関などに勤めるOLなどが川岸で簡単な食事などをとっている。夜には、この辺りはちょっとした歓楽街になる。(と言っても、歌舞伎町のような派手なものではないが....)
 ラッフスルズホテルは、シンガポールを開拓したイギリス人のラッフルズにちなんだシンガポール随一の高級ホテルで、パティオを持った古めかしい立派な建物が都心の広い敷地に建っている。僕が滞在していたホテルは、このホテルではないが、すぐ近くのホテルであったため、記念にラッフルズホテルのTシャツだけ買った。ここは、カクテルのシンガポールスリングの発祥の地らしく、ラッフルズホテルのバーでシンガポールスリングを飲ってみるのは、何とも"粋"でお洒落なことではある。   

 前にも触れたとおり、シンガポールは中国系の人間が多いとはいえ、その他マレー系、インド系などもいる他民族国家である。このため、町では中国語を話す人が多いものの、共通語は英語になっているようで、地下鉄の駅名やアナウンスなども英語で行われていたし、書店には英語の本が並んでいた。そういえば、僕がアメリカに住んでいた当時、東欧に旅行ツアーに出かけたが、そのときシンガポール人母娘を一緒だったが、彼女たちは英語のほかにも中国語の北京語、福建語など、数か国語も日常的に話すと言っていた。このときの娘の方の若い彼女はシンガポール大学で日本について学んでいたということで、いろいろと話をしたのだが、僕が日本語のほかには英語しか話せないと分かると、さも当然といった顔でフランス語か何かやるべきだ、と言われたが、これもこのような環境の中にあるからだったのだろう。


 しかし、実際、世界を見てみると日本のように長い間に渡ってほぼ単一民族しか住んでいなかった国は珍しい部類に入るのだろう。例えば、言うまでもなくアメリカはつい200年くらい前に人工的に作られた多民族国家で、もちろん英語が国語であるが、"アメリカ人"にはさまざまな民族的背景を持った多様な人々がおり、それぞれの民族の言葉を話すのが普通だ。また、ヨーロッパは、互いに国境が陸続きで接している上、古くから国々の興亡があったこともあり、いくつかの言葉を話す人が多い。ラテンアメリカは、スペイン語が支配的だが、民族的には実に多様で、ブラジルなどは白人、黒人、混血などが日常的に隣り合って暮らしている。
 日本の場合は、島国で他国との往来が容易でなかったことに加え、(GHQ占領の一時期を除けば)歴史上他民族に支配された経験がないため、大多数の市井の人々はあまり他の文化や言葉を意識する必要がなかったということだろうか。これが日本の、一部分については非常に精緻なやり方を生んできた背景なのだろうが、グローバル化が進展する今の時代では、やや戸惑いを感じる日本人も多いのかもしれない。


 さて、そうした他民族国家であるシンガポールの中、やや東の方にはマレー系の人々が多く住むところがあり、いかにも東南アジア風の市場もあった。だいたいシンガポールは見た目はかなりの近代国家で、おそらく買い物なども都心のデパートのようなところですることも多いのではないかと思ったのだが、この市場は、地面に大きなテントかトタンのようなもので覆いをした、タイなどでよく見かける市場だった。かなり薄暗いその中へ足を踏み入れると、鶏肉か何かの大きな塊がいくつもぶらさげてあり、僕のような人間にとっては漂う生臭いにおいに耐えきれず思わず鼻を押さえてしまう。それでもそこは衣料や日用雑貨など多くのものを売っており、人々で賑わっていた。その中で、女性の多くはマレー系の、というより、おそらくイスラム教に則ったものだろうが、頭まですっぽりベールで覆った姿であった。




    
 この東のあたりは比較的古いごちゃごちゃした町並みが多く、これは西の方とは対照的だ。地下鉄に乗って西の方へ向かうと、途中から地上へ列車が出るのだが、そこで車窓から見える景色は、ちょっとした郊外のニュータウンといった感じで、木々の緑が風に揺れる中に多くの団地のようなアパートが立ち並んでいる。また、西の方には、ジュロン工業団地もあり、シンガポールにしては広々とした敷地に、背の低い軽工業の工場も並んでいる。



 こうした西の清潔感のある町並みも好きだが、東のごちゃごちゃした怪しげな雰囲気も捨てがたいものはある。怪しげといっても、そこはシンガポールであり、直ちに身の危険を感じるほどではないこともある。



 そうして、僕はしばらくこのごちゃごちゃした地区を歩いていたところ、いつしか道に迷ってしまったようだった。だんだん暗くなってきて、小雨もぱらついてきた。少し心細くなってくる中を比較的大きそうな道に沿って、地下鉄の駅を探しつつ、ホテルのある西の方に向かってとぼとぼと歩いていくと、前方に、やや人の姿が多くなり、ぽつぽつと赤いランプのようなものが見えてきた。
 近づいてみると、ドリアンのむっとした臭いが漂ってきて、果物を売っている商店があることが分かる。また、東南アジアによくある、店の前にテーブルをぱらぱらと置いた小汚いレストランも見えてきて、そこでは何人かの男がたむろして談笑に興じている。ここら辺りへ来ると、ドリアンの饐えたような臭いもあって、周囲の雰囲気は怪しげなものから妖しげなものへと変わっていた。
 その辺りの側道には、もっと多くの赤いランプが見えてきた。どうやら、この辺りが話に聞くゲイラン地区らしいと分かった。ゲイラン地区とは、シンガポール政府公認の公娼地区があるところで、ゲイラン・ロードという通りの一角にあるらしい。聞くところによれば、そこには多国籍の娼婦が数多くいて、全く別世界を形成しているらしい。もちろん小心な僕は、実際にそれを確かめてみようなどという考えは出てこなかったし、このあたりで小雨がやや本降りになってきたこともあって、地下鉄の駅を探すのをあきらめ、たまたま通りかかったタクシーをこれ幸いとばかりにつかまえ、乗り込んだ。

 タクシーは高速道路のような広い通りに出ると、今や本格的に降り出した雨の中を遠く西の方に灯りが霞んで見える高層ビル街へ向かって走りだした。雨に煙るタクシーの窓からは、前方に信号の赤いランプがぼんやりと見えてきたが、それはつい今しがた去ったゲイラン地区の赤ランプを彷彿させた。それにしても、世界には知らないことがまだまだ数多くある。ソクラテスの"無知を知る"ではないが、様々なことを知ろうと思えば思うほど、いろいろなことをやろうと思えば思うほど、自らの無知、不甲斐なさを思い知ることになる。あるいは、"井の中の蛙"のままで終わる方が、結局は、幸せなことなのかもしれない。僕は、雨ににじんだ赤ランプが青に変わるのを見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
















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